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過去からの繰り返しについて、「何か違うんじゃないか」と感じる違和感を取りのぞいていく。自分の本心を探っていく過程で、自分に対する思い違いに気がついていく。

 

自分自身のうちにも、明るさや暗さ、女性らしさと男性らしさなど、正反対の要素が渦巻いている。「その要素は自分の中にはない」と思っていたものが、実は自分のうちに、強く根ざしていることもある。

次また次へ

昼と夜を繰り返しているうちに、昨日と同じことを繰り返している気がする。天体や季節の移り変わり、毎日の時間みたいに。

 

規則正しいことは悪いことじゃない。でも、今日もまた、昨日までと同じことを考えていて、同じような振る舞いをしている。そのことについて、「何か違うんじゃないか」と感じている。繰り返しの日々だとしても、今いる場所から、あと一歩でも、もう一つ、次の世界へ行きたい。

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明鏡

自分が本当はどう感じているのか──。その声を聞こうとするたび、私たちは思い込みや制約にぶつかります。「こうあらねばならない」と思い込んでいる感情の奥に、本当の声が静かに息づいているのかも知れない。
それ以外の道を選べるとしても、それを選ぶだろうか。本当はどうありたいのか。そして、「自分が思い描ける範囲の理想」の向こうはあるのでしょうか。《明鏡》は明確な連作ではありませんが、ここでは、自分の本心と、変化や成長の可能性を探る作品群による世界をまとめています。

ひとり静かな虚空の海にて

見渡すかぎりに島影もなく、凪いだ海にぽつんと浮かぶ孤島。そこは、他者の視線も評価もなく、ひとりで過ごすための場所。「当たり障りのない振る舞い」や、「納得のいかない妥協」、「愛想笑い」、「他者を優先しての”諦め”」――その全てがいらないところ。何ものにも左右されない自分自身の輪郭が、静かに立ち現れる場所として。ただ、ほんとうの自分であることが、許される場所として。

いちど、そこで、なんでもない自分に戻って。

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「自分のためだけの島」をどんな島にしよう。何の植物を植えようか。地面には、自らが創造した「竜」を刻もう。夏に見た花の数々、遠くに出かけたときに見かけた見慣れぬ鳥。ここを、自分のためだけの完璧な島にして、それから…。

それから、島の外へ出発しよう。この島の完璧さが、「大丈夫」と感じさせてくれる。でも、ここに戻ってくるかどうかは分からない。

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橋は、こちらとあちらをつなぐもの。日常と、非日常の異世界をつないでいる。異世界にあるのは、見たことのない風景、今の知識や観念では予測のつかない出来事。そこから戻ってきた自分は、前とは少し違う自分になっている。何度も橋を渡り、変化と更新を繰り返す。ときには自らの意思で目的を持って。ときには無意識のうちに。向こうに何があるかも知らない中で。

そしていつか、異世界に渡るときに「橋」を必要としなくなる状態が訪れるだろうか。

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自分がありたい状態や、進みたい方向が明らかになること。

そして自分に割り振られた、人生での”仕事”のことを思い出す。

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その存在を受け入れる時、自分のうちにある、正反対の要素が和解し、ひとつのものになっていくとしたら。それは、単に「変わる」のではなく、「過去の自分を超える」、あるいは逆に「元に戻る」とか「思い出す」ということかも知れない。自分の元の姿。そもそもどこから来た何であったのか。

その、「割り振られた、人生での”仕事”」を、「自分のいのちはもう保てないであろう、またはいのちがすでにない」時にも遂行できるだろうか。

 

ほんとうに終わりのときまで、その”仕事”を通して、世の中に、関わってきた人たちのうちに、「種を蒔く」ように。

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そのとき

人間が肉体を持って活動している状態を「生きている」と普通に言うことについての不思議さについて考えたことがある。「生きている」者が人生を送っている。自分の人生を送るには、「生きて」いなくてはならない。その時間を終えたら、自分は消えてしまうのだろうか。あるいは、魂は残るのか。それとも、その「生きている」という状態を、単純に「生命として死ぬこと以外に超える」ということはできるのか。もし、そうなれたら、自分は何をしているのだろう。

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作品とその世界

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